宮城野親方(元横綱・白鵬) / 親方
Osaka
大阪
稀代の大横綱・白鵬翔
相撲人生の始まりの地、大阪
宮城野親方(元横綱・白鵬) / 親方
※写真はGoogle Pixelで撮影しています。
積み重ねた勝ち星は歴代最1187勝、第69代 横綱に昇進後の座位は最長83場所。国技と呼ばれる大相撲の歴史を塗り替え続けてきた元横綱・白鵬。そんな彼が相撲と出会ったのは、ここ大阪だ。23年前、15歳のときに相撲と無縁だったそれまでの日々に別れを告げ、来日。それから悔しさに涙を流ながらも辛い稽古と言語の壁を乗り越えてきた。想像を超える努力を重ね、プレッシャーと闘い続けたこの地で、今は親方という立場から当時の想いを振り返る。JOUR
NEY
Settsu Warehouse
レスリングでモンゴルに初めて五輪メダルをもたらした英雄を父に持つサラブレットながら、
本気で進むと思ってもいなかった相撲の道。
相撲留学として、初めて日本に来たのも観光半分。
しかし、この大阪の摂津倉庫で相撲に出会い、
しきたりや基本を一から教わることから全てが始まったのだ。
相撲の基本を学んだ
相撲留学先
配送業を営みながら、アマチュア相撲部を持つ。白鵬翔の歴史が始まったのも、この相撲部に6人の仲間と共に、2ヶ月相撲留学をしたのがきっかけ。当日と変わらぬこの場所で、寝泊まりしながら相撲の稽古に励んだそう。
Settsu Warehouse
摂津倉庫
大阪府大東市南新田1-3-13
Hiraoka Shrine
創建2680年以上の
歴史ある古社
明治維新後は神社の中でも最高位に位置づけられた全国的にも有力な古社。⼤阪府東部、⽣駒⼭地⻄麓に鎮座しており、後背⼭上の神津嶽における⼭岳信仰が始まりとされている。本殿は、東大阪市指定有形文化財に指定されており、笑いで幸運を祈願する「注連縄掛神事」や、粥を用いて1年の吉凶を占う「粥占神事」などの特殊な神事や、多くの祭祀を現在まで継承し続けている。
Hiraoka Shrine
枚岡神社
⼤阪府東⼤阪市出雲井町7-16
Honganji Sakai Betusuin
大関から横綱まで
現役時代を支えた場所
足利義氏の第四子祐氏が創建したと伝えられ、現在の本堂は文政8年(1825)に再建。現存する堺最大の木造建築となっている。かつて宮城野部屋大阪宿舎として利用され、隣接する保育園の敷地で稽古に励んだ。
Honganji Sakai Betsuin
本願寺 堺別院
大阪府堺市堺区神明町東3-1-10
Open space with the sea
大阪の海を感じる
広大な公園
堺浜に位置する、27.9ヘクタールの広さを誇る公園。広場内ではBBQ広場やドッグランのほか、海に面していることから釣りが楽しめる「海釣りテラス」などの広場がある。晴れの日には遠く明石海峡大橋まで望める。
Open space with the sea
海とのふれあい広場
大阪府堺市堺区匠町6-1
Otori Taisha Shrine
全国からの参拝客も多い
防災雨祈の祈願社
奈良・平安時代に天地を鎮める祈祷ができる霊験著しい神社、防災雨祈の御祈願社として定められていたことで知られる。日本武尊が祀られていることから、親方の現役中には、勝利祈願はもちろん、怪我なく場所が終わるようにと祈願したそう。
Otori Taisha Shrine
大鳥大社
大阪府堺市西区鳳北町1-1-2
Sumiyoshi Taisha Shrine
「何かしら自分のモノにしないと」そんな想いがあり故郷への道を断った。
大関に昇進してからは「勝って当たり前、当然勝ち越し」。
そんなプレッシャーと闘い続け、我慢し続けた。
歴史上最も多くの優勝を飾った白鵬 翔は、
いつの間にか相撲の楽しさから遠ざかり、常にギリギリのラインを走っていた。
奉納土俵入りも行った
住吉神社の総本山
全国に2000社以上ある住吉大社の総本山であり、本殿4棟は国宝に指定されている。小説にも登場した反橋などの見どころも多い。親方の横綱時代に奉納土俵入りでよく訪れた場所でもあり、ここに来ると本場所の始まりを体で感じていたそう。
Sumiyoshi Taisha Shrine
住吉大社
大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
Grilled Blowfish Yumeteppo
焼きフグ提供の
パイオニア的存在
まるで焼き肉のように網の上でフグを焼く、焼きフグ料理のお店。これまでほとんど提供されていなかった“フグを焼く”という料理のパイオニアとして知られる。塩やタレ、ニンニクなどを付けて味わう。
Grilled Blowfish Yumeteppo
焼きフグ屋「夢鉄砲 上本町本店」
大阪府大阪市天王寺区小橋町12-15 エバーグリーン上本町1F
誰よりも小柄で弱かった。受け入れてくれる相撲部屋がほとんどない中で急遽決まった、宮城野部屋入り。
「見る目がなかった、と思い知らせてやる」
そんな悔しさを糧に、初土俵入りしてからわずか3年、19歳で新入幕入りを果たす。
日々当たり前に積み重ねてきた努力は、脅威のスピード昇進として身を結ぶ。
2016年大阪場所11日目、21歳で大関昇進。その後、満身創痍の中で挑んだ最後の取り組みは、全勝優勝。
引退後には新横綱が誕生し、バトンは次の世代へと引き継がれる。
大横綱は、指導する側へと変貌を遂げ、これからは親方として、第二の相撲人生を進んでいく。
JOUR
NEY