斎藤佑樹 / 元プロ野球選手
Gold Coast
ゴールドコースト
野球を通じて巡り合った縁
斎藤佑樹の再出発地、ゴールドコースト
斎藤佑樹 / 元プロ野球選手
※写真はGoogle Pixelで撮影しています。
「ハンカチ王子」の名で全国のファンを熱狂させ、社会現象まで引き起こした元プロ野球選手の斎藤佑樹。そんな彼が向かったのは世界でも指折りのリゾート地、オーストラリアのゴールドコースト。ここは栄光と挫折にまみれた彼が、新たな一歩を踏み出した場所。栄光の始まりは2006年の夏の甲子園。早稲田実業のエースとして決勝へ行き、田中将大を擁する駒大苫小牧との死闘に勝利。名門早実を夏の甲子園の初優勝へと導いた。そのまま早稲田大学へ進学。1年ながら開幕投手になると、目覚ましい活躍で歴史にその名を遺し、ドラフト会議では4球団が1位指名。北海道日本ハムファイターズへの入団が決まった。そこから新たな伝説が始まる。誰もが信じて疑わなかった。しかし、本領発揮のはずが、肩を故障。プロの壁は想像以上に高かった。プロ8年目の冬、このままで終わるわけにはいかないと、再起をかけ訪れたのが、ここゴールドコースト。リハビリを兼ねた身体のトレーニングを目的に、シーズンオフに何度も足を運んだ。ほんの束の間でも明るい気持ちになれたというこの地で、彼は何を得たのか? そして、プロ野球引退後に掲げた新たな夢とは? これまでの野球人生を振り返りながら、未来に向けてヒントを探る旅が始まる。JOUR
NEY
Cycling Through Surfers Paradise
「サーファーズパラダイス」は約42kmにもおよぶ
綺麗な白い砂浜のビーチが見どころで、
オーストラリア最大の観光保養地として世界的に有名。
ロケでは、レンタルサイクルに乗って海岸沿いの通りをサイクリング。
Moo Moo The Wine Bar + Grill
斎藤さんがゴールドコーストで
必ず訪れるステーキレストラン
マスター KOBE と呼ばれるオーストラリア産和牛「Wagyu」と熟成肉を取り入れたメニューを展開する人気店。斎藤さんはロケでトマホークステーキを注文。斎藤さんは、「食感が柔らかく、塩加減が絶妙であっさりしているけど、食べた瞬間はジューシー」とコメント。そして一番の本命料理である、オイスターのベーコン乗せも堪能。オイスターの上に乗っているベーコンが絶品で、何度も通ううちに行きつけのレストランになったそう。
Moo Moo The Wine Bar + Grill
ムー ムー ワインバー+グリル
BROADBEACH ON THE PARK, 2685 Gold Coast Hwy, Broadbeach QLD 4218 Australia
Surfers Paradise Baseball Club
斎藤さんがゴールドコーストで
もっとも思い入れの強い場所
1987年創立。ゴールド コーストに所在している50のベースボールチームの中の1つで、自然の中にあるグラウンドが特徴。斎藤さんは2018年のオフシーズンからここに毎年通い、リハビリを兼ねた自主トレーニングを行った。
Surfers Paradise Baseball Club
サーファーズ パラダイス ベースボール クラブ
Allchurch Ave, Benowa QLD 4217 Australia
Holloway Field
収容人数約1500人
選手との距離が近いグラウンド
クイーンズランド州ブリスベンのニューマーケットにある野球場。オーストラリアン・ベースボールリーグに加盟しているプロ野球チーム、ブリスベン・バンディッツとウィンザー・ロイヤルズの本拠地。ロケでは、NPBの中日ドラゴンズでもプレーし、ディンゴの登録名で親しまれたブリスベン・バンディッツの監督「デヴィット・ニルソンさん」からグラウンド作りのアドバイスをいただいた。
Holloway Field
ホロウェイ フィールド
8 Vivienne St, Newmarket QLD 4051 Australia
期待に応えられず、申し訳ない。
どちらかと言えば、そんな気持ちの方が強かったかもしれない。
最後のマウンドを終え、振り返ると、そこには大観衆のスタンドがあった。
この上ない幸せをもたらしてくれた、野球。
今度は自分が返す番。その素晴らしさを次の世代にも伝えたい。
少年少女がホームランの喜びを分かち合い、
地域のコミュニティが生まれる球場を日本中へ届ける
それが、斎藤佑樹の恩返し。
ありがとう、野球。ありがとう、オーストラリア。
JOUR
NEY
斎藤佑樹 (さいとう ゆうき)
1988年6月6日生まれ。群馬県太田市出身。早稲田実業学校高等部3年時の2006年、エースとして夏の甲子園に出場し全国制覇。「ハンカチ王子」として大フィーバーを巻き起こした。早稲田大学入学後も輝かしい成績を残し、数々の栄冠を獲得。アマチュア球界No.1右腕として2010年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。ルーキーイヤーから6勝をマークし、プロ2年目の2012年には開幕投手も務めた。2017年からは背番号をアマチュア時代に慣れ親しんだ「1」に変更。しかし度重なるケガに悩まされ登板数も伸びず、2021年10月に引退を発表。そして引退後の12月に自らの会社・株式会社斎藤佑樹を設立。「野球未来づくり」を掲げ、現在様々なプロジェクトの実現にむけて取り組んでいる。